インターネットの波で一人でも多くのサーファー&ガールズにSMAC サーフボードからのメッセージが伝えられたらいいなと思っています。よろしくお願いします。
四国でサーフィンしながらサーフボードを作る。それが私達SMACサーフボードのスタイルでありメッセージでもあります。
サーフィンを愛している本物のサーファーがサーフボードを作るというクラフトマンシップを大切にする。そんなサーフィンスタイルの素晴らしさとマインドの深さも知ってもらいたくてホームページをスタートすることにしました。
サーフボードについてはもちろん、サーフトリップ、ライダーとの出会いや交流、コンテストリポート、時代の流れなど、サーフィンについて自分の考えていることを述べていきたいと考えています。
まず最初に今ではSMACプロチームの稼ぎ頭となってくれている林健太との出会いから紹介します。
健太とは私のチームへ入ることが決まった時のことが今も強く印象に残っています。
グッドサーファーを自分のチームに入れることができた。そのことが嬉しかったのです。当時は辻裕次郎、一楽ヒロ、仲野仁人と四国ボーイズ達が頭角を表してきた時期でSMACにも強力な若手が欲しかったということもあります。なので、その時の自分の行動にも健太が欲しいという気持ちが入っていました。
雑誌の取材を終えたばかりの沖縄から車をフェリーに乗せて鹿児島まで24時間。そして鹿児島から四国へと国道からフェリーを乗り継いで12時間。合計で丸々36時間を掛けて高知の健太の実家に急行し、両親を尋ねて挨拶させてもらいました。
そこで健太がチーム入りする話が正式に決まったのです。
健太がサーフボードのスポンサーを探していると沖縄で聞きつけ、これはチャンスだと思って急いで車を走らせた懐かしい思い出です。
もちろんそのずっと前から健太の成長は陰ながらじっと見守ってきました。最初に健太を見たのは尾崎ビーチで遊んでいる姿です。健太が小学校の低学年だった時分です。それが小学5年生くらいになってから父親と母親と一緒にボードでパドリングを始めました。
そして次の年の夏にはちゃんとサーフできるようになって、中学2年の時NSA全日本選手権でボーイズチャンピオンに輝きました。
この時すでに健太は言葉遣いや話をしているときの姿勢も良くて子供なのにしっかりとしたサーファーに成長していたから感心です。
そしてその翌年2000年冬の2月から正式にSMACチームの一員となりました。
それからの活躍はご存知の通り。メキメキと腕をあげ、伊良湖で開催されたジュニアオープンU16クラスで2位になったのを皮切りに、同じ年バリで開催された世界ジュニア選手権のU16クラスで世界4位になって驚かせてくれました。そして翌2001年にはNSA全日本選手権ジュニア優勝。輝かしい戦歴を経て2003年に19歳でプロへと転向しました。
そしてつい先月、千葉県鴨川市で開催されたJPSA第2戦Beach Sound プロで優勝。
私もその瞬間を同じビーチにいて喜びと感動を味あわせてもらいました。それはそれは見事な優勝で、健太が勝つためにどれだけ集中して、コンディションがベストになるよう気を使っているかをしっかりと見させてもらいました。とくに勝ち上がるにつれて自分の気持ちのもって行き方が素晴らしかった。勝てるというときはリズムも良くなるし態度に出るものです。
昔、最初に健太に会った頃は、物静かな子供という印象でしたが、今はアピールするし良く喋るしギャグも飛ばすようにもなり、頼もしい感じがします。
シェイパーとのコミュニケーションというプロライダーとしての仕事も、ハワイなどビッグウェイブ用はドン・ジョンソン、日本のコンテスト用は竹内栄治と、SMACのシェイパー2人と密接なリレーションシップでサーフボードのチューニングに励んでいます。
サーフィンに熱心でセンスもあり、ずば抜けた運動神経の持ち主である健太。今年こそ健太にグランドチャンピオンを獲得してほしい。そしてプロサーフィンの世界の頂点であるWCTに少しでも早く近づいていって欲しいと願っています。
さて、次回は7月中旬ごろに、私と間屋口香との出会いについてお伝えしましょう。
お楽しみに!
SMAC サーフボード 代表 植田 昌宏