
時代が、さかのぼるが彼女がハワイ オアフ島から2000年に日本に移住する為、いや正確には、両親が日本国籍なので日本に戻り生活の基盤を作るためで、

帰国後、中古のバンで茨城県から宮崎県迄、半年かけて彼女達ファミリーが納得出来る場所を探すキャンピング生活が始まったのであります。

当時、私の記録、記憶、の中でこの年は、海部が爆発的に良かった年で、カオリが海部の波に乗り、川の綺麗さ そして、とんでもない田舎にファミリーの意見が一致したのでしょうね。
「なんせ、ソフトバンクショップ迄1時間。家電量販店まで1時間ですわ」
コノ写真は2005年に バリで行われた アロハガルーダカップで優勝した時のメモリアルショットであります。

2003年のJPSAのグランドチャンピオンのタイトルを取った時の広告でコノ写真はたしか バリ島のウルワツのライディングを使った。
まだ、カオリちゃんと呼んでいた頃だ。 カオリちゃん。

2005年
コノ頃くらいから、私はカオリと呼ぶようになったと思う。

カオリ姉さんがグランドチャンピオンの大事な記念品です。
「植田さん、私、決めました。コンペティションから引退します。」とサッパリした顔で私は彼女に宣告され、「こいつ 本気でサーフィンに人生をかけるんだな」と痛切に思わされた。
サーフィンを辞めるんではない、コンペティションを辞め本格的にやりたかったサーフィンをやっていくと言う事なんだろう。(^O^)

このトロフィーは、カオリがグラチャンを決め引退宣言をし、私に「植田さん、これらをもらってください。」と言われたので、「お金に 困ったら売っちゃうよ」と、吉本新喜劇的に言ってしまった。
そのカオリの顔が忘れられない。
「お好きように、私はこう言うトロフィーのタメにコンペティションをやってたのじゃ無いんですよ」てな感じで、私のジョークを軽くかわされた。
コノ時点で、カオリ姉さんに呼び名が変わった。


そして、金子カオリになり、

新たなる仕事がスタートする。
カオリちゃん、カオリ、カオリ姉さん。
出世魚のごとく名前が変わり 人として本当に立派になった。
本当にご苦労様でした。\(^o^)/



向かって左に抱えられているのが恋ちゃん、隣に抱えられているのがコウタ、真ん中の林享くん両どなりに幸総一郎とカイリ、右上はナルミちゃん、その横はレイカ、端っこに香がいます。
ほとんどの子供達が次の世代へと 繋がって行くのです。
なので私達ファクトリースタッフはサーフボート作りに全力でやっております。